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2009年4月13日 (月)

桜の長谷寺に行ってきました

「憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
  はげしかれとは 祈らぬものを」 

百人一首 第74歌、源俊頼朝臣の歌です。

恋仲になりたいと思っていた女性が、冷たい態度で振り向いてくれません。
そこで初瀬の観音に祈ったものの、相手はますます冷たくなるばかり。
それゆえ「初瀬の山から吹き下ろす山おろしみたいに、より厳しくなれなどと祈らなかったのに!」と嘆くのが、この歌。

この舞台となる初瀬観音とは、奈良と伊勢を結ぶ街道の要衝、

「初瀬の谷」を見下ろす山腹に大伽藍を構える大寺。

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『長谷寺』です。

(『桜の長谷寺』にはつづきがあります)

そもそも「長谷」と書いて「はせ」と読むのは、長谷寺のあるこの初瀬(泊瀬:はつせ)の谷がそのような地形であったことに由来し、「長谷寺」をして『はつせでら』とも言ったようです。

「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」(花山法皇)

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平安時代には、観音信仰が広く信じられていました。
観音菩薩は「救済」をつかさどり、危機になると救いの手をさしのべてくれるのだとのこと。

冒頭の源俊頼朝臣の歌では、残念ながら願いを聞き入れてもらえなかったようですが、何か良からぬ下心でもあったのでしょうか(笑)

大和国初瀬の長谷寺は観音信仰の根本霊場とされ、初瀬の観音はとくに霊験あらたかな観音菩薩として参拝する人が絶えなかったようです。

その様子は枕草子や更級日記、源氏物語などの文学にも描かれています。

源氏物語、第22帖「玉鬘」では、夕顔の忘れ形見である玉鬘と夕顔の女房(侍女)がそれぞれの願いを抱き長谷詣でをする道中、偶然にも椿市の宿で再会を果たす感動の場面があり、源氏物語のなかでも名シーンの一つにかぞえられます。

観音の聖地と風光優れた地への強い憧れから平安王朝の女性達はこぞって長谷詣をしたのだとのこと。

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長谷寺は別名「花の御寺」とも言われます。

春の桜は吉野と並ぶ「千年の名所」で奈良県下でも三指に入る名所です。
また初夏の牡丹は名所中の名所であること言うまでもなく、秋の紅葉、冬の雪など、四季折々の美しさはいずれも天下の景勝地と呼ぶにふさしく、万葉のむかしから「隠国の初瀬」として歌枕の地でもあります。

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花咲かば 堂塔埋もれつくすべし(高浜虚子)

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「堂塔が花に埋もれる…」

虚子が詠んだ句、まさにそのとおりの長谷寺の様相でした。

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コメント

お久しぶりですーwhappy02

やっぱり こちらの日記だと写真が綺麗ですねー^^

あちらの方でも素敵な写真でしたが・・・・・。

ヤマさんの写真は 引き付けられる写真ばかりで いつも見いってしまいますgood

桜って散ってるところも、散って道に落ちたところも綺麗だと思いませんか??

投稿: アンリ」 | 2009年4月17日 (金) 22時56分

アンリさん
いつもコメントありがとうございますm(_¥_)m
こちらには向こうに無いものを何枚か載せております。
>桜って散ってるところも、散って道に落ちたところも綺麗だと思いませんか??
はい、桜吹雪がひらひらと舞うところとか、歩いているだけで情緒があっていいですね。
すっかり桜の時期も終わってしまいました。
ホントはもっといろんな場所に行ってきたんですけどね。。。

投稿: YAMAKEI | 2009年4月19日 (日) 17時11分

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